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2015年の秋、わたしは二度、さつまいもに救われた。
国際学会のスケジュールには、しばしば「エクスカーション」と呼ばれる視察旅行が組み込まれる。
たとえば、シンガポールで開催されたアジア史関係の学会では、第二次世界大戦期の慰霊塔や日本軍の上陸した海岸までスコールのなか連れて行ってくれたり、台湾で開催された東アジア環境史学会では花蓮から奥地に入って先住民の方々から小動物の狩りの仕組みを学んだりできる。
韓国全州での東アジア農業史学会では巨大なダムを視察したり、網走での同じ学会では網走の農家から直接お話を伺ったり、観光ブックガイドには載っていない場所に行けるだけでなく、現地の方とお話もできるので、いつも楽しみにしている。
しかし、今回の香川での学会はなかなか楽しもうという気持ちになれない。空は晴れていても、気持ちが晴れない。
東アジア環境史学会主催者の香川大学の村山聡さんから、外国から訪れた研究者と同行して、小豆島の案内を手伝うだけでなく、福田地区で昼食を食べるまえに日本の食の歴史に関する話をするように依頼があったからである。
いつも元気な村山さんでさえ膨大な準備作業でその疲労はすでに限界を超えていたから、断る勇気を持てなかった。
たが、実は小豆島の来訪は初めてであり、そもそも案内できる知識がない。オリーブオイルも、醤油も、ゴマ油も好きだけれど、語るほどの蘊蓄(うんちく)がない。
結局、小豆島の食事情に詳しく英語が堪能な中村博子さんに小豆島の説明はお任せしたものの、お話ばかりは中村さんに押しつけるわけにはいかない。仕事に追われていて準備にも時間が割けない。
たまたま発表したばかりの明治期東京のスラムの食生活に関するデータを抱えて、新幹線に飛び乗った。つまり、小豆島と関係のない話を、冷や汗を流しながらすることになったのである。
都市下層社会を支えていた食べものとして、繁華街や士官学校の炊事場から出てくる残飯だけではなく、タイやビルマから輸入されていた「南京米」という呼称をもつインディカ米とさつまいもなどがあったことも話した。
たとえば、中川清編『明治東京下層生活誌』(1994年)に収められている『時事新報』の、1896年10月から11月にかけて掲載された記事「東京の貧民」には、
「(乞食小僧は)貰いものの少なきときはやむをえず稼ぎ高の中にて大福餅、焼き芋、蒲鉾などを買いこれにて空腹を凌ぎ」
とあるし、同著に収められている呉文聡の「東京府下貧民の状況」(1891年)にも、
「「上等」極下等米、挽き割り、南京米の粥、「中等」粉米(こごめ)、キラズ[おからのこと―引用者註]、蕎麦下粉(したこ)、なお三度食するはまれにて二食もしくは一食を以て一日を凌ぎまたは焼き芋あるいは安野菜を塩煮にして食物とす。「下等」最下等の者に至ては芥溜(ごみ)箱を探り腐敗物を拾い食す(本所荒井町には60日間焼き芋のみ食せし者あり)」
という記述がみられる。「焼き芋」が、餓死に至る道のりの最後の砦のひとつであったことが、この記述から分かるであろう。
それにしても、木賃宿とか、鍋底のおこげとか、南京米とか、簡単に英語に翻訳できない用語ばかりで困った。軽率さにかけては幼少の頃からかなりのレベルを保ってきたわたしも、さすがに今回は自分の軽率さを呪った。
とにかく、わたしは、オリーブの緑がまぶしい瀬戸内の島で、小豆島の旬の食材を使った美味しい弁当がもうすぐ食べられる前に、残飯、南京米、さつまいもによって空腹を凌いだ貧民たちの話をしたのだった。
小豆島のさまざまな場所を見学したあと空腹を抱えた研究者たちのまえで残飯の話をすることに、若干の躊躇がないわけではなかったが、食べものの世界の本当の奥深さを知ってほしいという思いをひそかに抱いていたこともたしかである。
欧米から来た研究者たちの反応は驚くほどよく、話が終わったあと、冷や汗が引かぬまま食事を囲んだテーブル席で質問攻めにあった。
ただ、もうひとつ気になっていたことがあった。
小豆島の東海岸に位置する福田での食事会は、自治会長さんをはじめ、地元の方々との交流も目的としている。
江戸時代の大阪城再築のときに、小豆島の良質な石が採掘して、切られ、船で運ばれたのだが、福田港はその港のひとつでもあった。
また、そういった歴史や瀬戸内芸術祭を通じて文化を通じた町おこしに積極的な地域でもある。
つまり、わたしは、福田のみなさんのまえでも小豆島と関係のない話をしていたことになる。不興だったかもしれないと不安になって、恐る恐る感想を聞きにいったら、みなさんはこんな話をしてくれたのだった――。
小豆島では、さつまいもがよく食べられていた。自家用の田んぼもあるそうだが、それほど多いわけではない。秋にさつまいもを収穫すると芋釜にいれて一年間近く保存する。
小豆島の特産品といえば、オリーブや素麺やゴマ油や醤油だけれど、さつまいもが小豆島食生活史のなかで重要な位置を占めることを、福田のみなさんは丁寧に話してくださった。
もっとも驚いたのは、小豆島の名産の佃煮。小豆島は海産物に恵まれ、小魚の佃煮はみやげ物としても喜ばれるが、それは、最初は海産物ではなく、さつまいもの蔓の佃煮から始まったことである。
瀬戸内海最大の島で、貴重な食材であったさつまいもとその蔓。そういえば、10年前に同僚たちと対馬にいったとき、この島でも水田が少なくさつまいもが「孝行芋」と呼ばれ、貴重な食料だったことを知ったのだが、そんな昔の旅を思い出した。
さつまいものでんぷんから作られた黒っぽい麺「ろくべい」の歯ごたえと風味はいまも忘れられない。シンプルであるが、風土に深く根ざしたさつまいもの史実にわたしは心打たれた。福田のみなさんのお話とさつまいもに感謝しながら、バスに乗った。
二度目のさつまいも救いは、それからあまり間をおかずにわたしに訪れる。
熊本で、石牟礼道子さんと対談をするという僥倖に恵まれたときである。
本の感想には、面白かった、心打たれた、一気に読めた、深く考えさせられた、など、いろいろな言葉があるが、「打ちのめされた」という言葉は、石牟礼さんのご著書にこそふさわしいと思う。
『苦海浄土』(1968年)はもちろん、『椿の海の記』(1976年)や『あやとりの記』(1983年)なども、膝を地に落とし、頭をかかえるしかない強みと重みをもっている。
そんな作家に向かって、どんな言葉を投げかければいいのか。対面したとき、自分のあまりにも小ささに冷たい電流が体を走ったように感じた。
このときの対談は『婦人之友』の2016年2月号に掲載されているが、いまでもこの対談が成立していることが信じられない。
ただ、もし成立しているとしたら、石牟礼道子さんの信じられないほど強い知的好奇心と、さつまいものおかげである。
わたしはもたげる不安を抑え込むかのように予習に打ち込んだのだが、そのなかで印象に残ったのは『食べごしらえ おままごと』(1994年)だった。
実はここに「からいも」の話がたくさん登場する。からいもとは、九州南部のさつまいもの呼称である。
とくに「から藷を抱く」というエッセイは印象深い。
「もうな、並の人生の20倍くらい、食いこんでおいたで、まだ胸やけが残っとる」なんていう南九州の農村地帯の中年男の言葉から石牟礼さんは話を始める。
東京のスラムで60日間焼き芋を食べた人を思い出してしまう。
対談のなかでも、石牟礼さんは、「四六時中、茹でてありますから。おなかがすけば、からいも籠というのがどの家にもあって、子どもの手の届かないところに置いておくんですけど」、子どものときに食べたくて「天秤棒でつつき落とした」とおっしゃっていた。
なぜなら、お母様は天秤棒さえあれば、わざと届くところに置いていたからである。また、「からいもは、水俣が一番おいしかった」とも胸を張っておられた。
なぜこんなお話になったかといえば、「から藷を抱く」で、石牟礼さんが東京で「からいも」に再会する場面が描かれているからである。
水俣の患者さんたちに付き添って、丸の内のオフィス街の路上で座り込みをしたとき、「津田塾、アテネ・フランセの才媛たち」も一緒に参加していた。彼女たちが焼き芋を買って石牟礼さんにわたす光景が沁みる。
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「道子さんにも、はい!」
突然、やきから藷に再会したのだった。彼女らはそれを「おさつ」というのであった。「お」がつく分だけ、藷は美女たちの胸で位が上がったようにみえた。それはなんとも情けない藷の味だったけれども、路上の冷えが骨にしみ透る夕刻、熱いおさつは懐炉のようでもあり、彼女らの愛らしさとやさしさが身にしみ、彼女を生み育てて下さった母君さま方にわたしは感謝した。
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石牟礼さんは、「水俣のわが家から藷を食べさせてあげたいと思った」と記し、そのあとつぎのような定言に至る。
「彼女たちはケーキを抱いたりはしない。から藷を抱くのである」。食べものとは食べられるだけでなく、見られたり、嗅がれたり、聞かれたり、なかなか忙しいものだが、実は、抱かれもする。そんな真実を石牟礼さんは教えてくれた。
「から藷」から「おさつ」へのこの変身譚を、わたしは石牟礼さんにおねだりした。石牟礼さんの口からくりひろげられる「から藷」の話で、対談の場にもあの匂いとぬくもりが漂ってきた。
これほどさつまいもに感謝したことはない。
さつまいもは、肥えていない土地でも育つので救荒作物として江戸時代の日本にもたらされた。
宮本常一は、日本史のなかで稲に比してさつまいもがあまりにもぞんざいに扱われていることを、つまり歴史家が民衆に向き合っていないことを、『甘藷の歴史』(1962年)のなかで批判しているが、そのなかにも記してあるように、享保の大飢饉や天明の大飢饉のなかで、さつまいもの栽培面積は増えていき、多くの命を救っていく。
だが、近代以降もまた、さつまいもは、戦争中の祖父や祖母たちの空腹を満たしただけでなく、稲が育ちにくい地域や都市の底辺社会を支え、無数の人々にあの「胸焼け」をもたらしたことは宮本の本のなかではあまり触れられていないし、そもそも広く知られていないだろう。
とともに、わざと取りやすいように「から藷籠」を低いところに置いておいた石牟礼さんのお母様と「みっちん」とのあいだに、そして、丸の内に座り込みをする女子学生と大人になった「みっちん」、すなわち石牟礼さんとのあいだに「ぬくもり」をもたらし、また、時を経て、小豆島の福田の方々、そして、石牟礼さんとわたしとのあいだにも、それを与えてくれた。
からいも、おさつ、さつまいも――時が移っても、場所が変わっても、人は、ケーキではなく、さつまいもを抱く。いや、それだけではない。人は、さつまいもに抱かれてもきたのである。
藤原 辰史
海外から新しい健康法が発信されると、つい飛び付いてしまう。だがそれが日本人にとっても有効とは限らない。「体質」を知れば常識が変わる―日本人に合った健康法を見つめ直す。オリーブオイル 赤ワイン 牛乳・ヨーグルト コーヒーとお茶…
健康にいいと思っていたのに!
昨今「地中海料理が体にいい」という話をよく耳にする。イタリアやギリシャなどの地中海沿岸地域の人が心臓病による死亡率が欧州一低いのは、オリーブオイルに含まれるオレイン酸が動脈硬化を防いでいるからと発表されたことがきっかけだ。
以来、日本でもサラダや料理にオリーブオイルを使う人が増え「オリーブオイルは健康にいい」という認識が広く浸透している。
しかし、「いくらオリーブオイルが健康にいいからといって、日本人が大量に摂取すれば、かえって心臓病や生活習慣病の発症率が上がる危険性がある」と警告するのは、『欧米人とはこんなに違った 日本人の「体質」』の著者で内科医・医学博士の奥田昌子氏だ。
「それは、油が脂肪そのものだからです。オリーブオイルも例外ではありません。日本人は欧米人と比べて『内臓脂肪がつきやすい体質』のため、脂肪を摂取すればすぐ体についてしまい、血糖値や血圧を上昇させ、動脈硬化や心臓病の原因となります。
一方で欧米人は油を摂っても遺伝的に内臓脂肪より、皮下脂肪になりやすいので、日本人のようなリスクは少ない。そもそも日本人の『体質』は独特なのです」
「体質」は遺伝的要因と環境的要因が絡まりあってできており、人種や生活環境が違えば、当然異なる。病気の発症率も違えば、摂るべき食べ物も変わる。
そのため「人種のるつぼ」と呼ばれる米国では「人種差医療」という考えが根付いている。だが、日本は島国のためか、これまで人種による体質の違いが大きく取り上げられることはなかった。
そんな中、先ごろ奥田氏が上梓した『日本人の「体質」』は、人種差の視点から日本人の健康法を導き出した斬新な医学系新書として、今注目を集めている。
奥田氏が続ける。
「日本のメディアは欧米で流行している健康法を競って紹介しますが、日本人は欧米人とは異なる遺伝子を受け継ぎ、異なる環境要因の元で生きてきました。そのため欧米人に有効な健康法が日本人にも効果があるとは限らず、それどころか有害なことすらあるのです。
オリーブオイルもその一つ。動脈硬化を防ぎたいなら『オリーブオイルは悪玉コレステロールを上げにくい』というわずかな効果に目を奪われるのではなく、内臓脂肪がつきやすい日本人は、油そのものの使用を控えるべきです。さらに言うと、オリーブオイルに含まれるオレイン酸は肝臓で合成できるので、意識して摂取しなくても健康が損なわれるようなことはありません」
オリーブオイル同様、海外で健康にいいと言われているため、日本人が積極的に摂っているのが赤ワインだ。
赤ワインに含まれるポリフェノールが悪玉コレステロールの酸化を妨げ、動脈硬化を防ぐとされ「酒を飲むなら赤ワインがいい」という説が世間に根付いている。だが「日本人は赤ワインを飲む健康利益より、害のほうが多い」と奥田氏は語る。
「実は、日本は心臓病の発症率が世界で最も低い国の一つであり、心臓病の予防を目的にわざわざ赤ワインを飲む必要はないのです。
そもそもポリフェノールは果物、緑黄色野菜、大豆など身近な食物にいくらでも入っているので、あえて赤ワインから摂取する必要はありません。それより『アルコールを摂取する害』のほうが大きい。アルコールによる発がんの問題は欧米人より日本人のほうが深刻です。
日本人の約半数はアルコールを肝臓で分解する酵素の働きが生まれつき弱く、こういう人は飲酒によって、食道や大腸、肝臓などのがんを発症しやすいことが知られています」
たとえば、食道がんと咽頭・喉頭がんを合わせると、日本人の場合、日本酒にして1日1・5合飲む人は、全く飲まない人と比べて発症率が8倍になり、1日2合以上飲む人は50倍高くなることが分かっている。ちなみに日本酒1合は、ワイン4分の1本(標準的なボトル750ml)に相当する。
「その一方で欧米白人には、アルコールを分解する酵素の働きが弱い人はほとんどいない。
欧米白人は、がんの発症原因の30%を喫煙が占めているのに対して、飲酒は3%しかありません。一方日本人は、飲酒によりすべてのがんの発症率が高まります。それくらい日本人は欧米白人に比べ、飲酒の影響を強く受ける体質を持つ人が多いのです」(奥田氏)
骨を強くするため、毎日欠かさず飲んでいる人も多い牛乳。特に高齢になれば「骨粗鬆症」を予防するためにもカルシウムを積極的に摂ったほうがいいと思い込んでいる人は少なくない。
だが奥田氏は「実は骨粗鬆症の原因はカルシウム不足だけではなく、遺伝的要因が大きく関与している」と語る。
「日本人のカルシウム摂取量は米国人の半分ですが、骨粗鬆症の発症率は米国人のほうが2倍も高いのです。しかも寝たきりの原因となる大腿骨頸部骨折の発生率とカルシウム摂取量を国・地域ごとに比較したところ、信じられないような結果が出ました(左上表を参照)。
なんと『米国、ニュージーランド、スウェーデンなど、1日当たりのカルシウム摂取量が多い国ほど、大腿骨頸部骨折を起こす人の割合が高かった』のです。
それに比べ、香港やシンガポールはカルシウム摂取量が少ないにもかかわらず、骨粗鬆症になる人は少なかった。この報告は『カルシウム・パラドックス』として世界を驚かせました。
さらに'15年に公表された海外の論文では、食事からのカルシウムの摂取量と骨折の発生率には関連がないと結論づけています」
牛乳に関しては「乳糖不耐症」の問題もある。乳糖不耐症とは、牛乳に含まれる乳糖を分解できない体質のこと。牛乳を飲むとお腹を壊しやすい人がいるのはそのためだ。
日本人を含む大部分の黄色人種とアフリカ系の人、そして白人でも地中海沿岸の人々の7~9割は乳糖不耐症とされている。これに対し、北欧や西欧の白人には1割ほどしかいない。
「牛乳を飲む習慣は欧米から日本に伝わりました。しかし、こう見てくると、日本人の体質に牛乳が合っているかは疑問です。
さらに、日本人男性4万3000人を対象に実施された調査では『乳製品の摂取量が増えるほど前立腺がんの発症率が上がる』という結果も出ている。カルシウム源として牛乳にこだわる必要はなさそうです」(奥田氏)
同じく乳製品で腸内環境を良くするイメージのあるヨーグルトも、日本人が食べ続けると食物アレルギーを発症することがあるという。
奥田氏が続ける。
「食物アレルギーには、いくつか種類があり、食べた後すぐに蕁麻疹や腹痛、呼吸困難などが起こる『即時型』と、数日経ってから発症する『遅延型』があります。
この『遅延型』アレルギーはめまいや抑うつ、下痢、肌荒れなど症状が多彩なことから、診断が難しく、疲れやストレスのせいと勘違いしたまま症状に苦しむ人が少なくありません。
この遅延型は、ヨーグルトなどの乳製品が原因になりやすいとされ、頻繁に食べると発症率が上がります。しかし、皮肉なことに、食べている人は体に良いと信じているので、ヨーグルトのせいで体調が悪くなっていることになかなか気づかないのです」
元々、乳製品は健康に良いという考え方は欧米から入って来たもので、日本人にとって本当にそこまで摂る必要があるのかは疑問になってくる。
「近年、日本、欧米、中国など12ヵ国から合わせて750人が参加し、腸内細菌と、腸内細菌が持つ遺伝子を国ごとに比較する研究が行われました。その結果、日本人の腸内は欧米と比較してビフィズス菌をはじめとする善玉菌が多く、悪玉菌が少ないという結果がでたのです。
近ごろは腸の善玉菌を増やす効果を謳う健康食品が花盛りですが、日本人は心配し過ぎかもしれません。アレルギーのリスクを負ってまで、無理して乳製品を摂る必要はないと思います」
ダイエット効果があり、リラックスも促すとして、お茶やコーヒーを積極的に飲んでいる人も多い。だが意外にも日本人は遺伝的に「カフェイン」によって情緒不安定になる体質を持っている人が少なくないという。
「カフェインを摂取し過ぎると、頭痛、不安、抑うつ、不眠、嘔吐、下痢などを起こすことは世界的に確認されていますが、元々日本人を含むアジア人は、カフェインで不快な症状が起きやすいタイプの遺伝子を持つ人が半数にのぼります。
特に日本人の4人に1人はカフェインを150mg摂取するだけで不安定な気持ちになると言われている。
これに対して、欧米白人やアフリカ系の人、同じアジアでも中国人は、カフェインが合わない人は少数派です。
緑茶やコーヒーに入っている有効成分はごく微量なので、飲むだけでコレステロールや血糖値が改善するとは考えにくい。さらにカフェインには利尿作用があるため、水分の排泄が増えて体重は減りますが、それは水分が減っているだけ。脂肪が落ちているわけではありません」(奥田氏)
カフェインはあくまで嗜好品であり、日本人にとっては、健康のために飲むものではない。それどころか害をもたらすこともある。
管理栄養士の梅原祥太氏もこう語る。
「カフェインを摂りすぎると副腎という臓器が疲労します。副腎はストレスに対抗するホルモンを出す臓器で、副腎が疲労すると倦怠感、無気力にも繋がります。
緑茶は1杯約30mgのカフェインが含まれていますが、コーヒーはその3~7倍あるので、日本人の体質を考えれば、1日2杯くらいに留めておいたほうがいいでしょう」
体質を知れば食べ物が変わり、健康法も変わる―次は「欧米生まれの健康法」の問題点について見ていこう。
「週刊現代」2017年1月14日・1月21日合併号より